lulu_batailleの日記

日々起こった事、思った事を記していきます。

瑞麗さんの日常(日没後)

今日は早番だったので、午後6時半過ぎに職場を出た。 

最寄りのバス停で買い物をした。

瑞麗さんが自ら勉強をしないので、彼女のお父さんがお目付役をしている。

一日1時間、宿題やドリル、英語の本を読む、と決まっている。

出来ない日は週末に多く勉強する、となっている。

どこで勉強するかは私は知らず、2人の都合の良い場所で行われている。それは自宅であったり、Starbucksであったり、カフェであったりもする。

昨日は私が帰宅と同時に彼女のお父さんが家にやって来た。

瑞麗さんは機嫌があまり良くなかった(お腹が空くと余計にダメ)が、仕方なくダイニングで勉強を始めた。私は夕食のオファーをして承諾を得たので、タコライスを用意した。

タコライスを食しながら瑞麗さんのお父さんが、知っている、私は会う機会がない人たちの近況を教えてくれた。時間は流れているんだな、と感じた。

午後8時半頃、瑞麗さんのお父さんは帰って行った。勉強と夕食を終えた瑞麗さんはそれなりに機嫌が良かった。

就寝前に少し喧嘩をして彼女は布団に入った。

私は食後に紅茶を飲んだせいで、あまり眠れなかった。

おやつを小出しにする

瑞麗さんは「食い尽くし系」である。

おやつを購入して、1日棚や冷蔵庫に寝かしておく。仕事から帰り置き場所を確認すると痕跡も無くなっている。

フランスでお菓子をいくつか購入して来たが、凄い勢いで無くなっていったので、いくつかアトリエに隠した。その事をすっかり忘れていたのだけれど、昨日レモン味のクッキーを見つけたので、おやつが無い、と文句を言っている瑞麗さんに渡した。

レモン味か、と言いながらクッキーを齧った瑞麗さんは、「これクリーム無しのビスコの味がする。」と言った。試しに食べてみたらまさしくビスコだった。ビスコはどうしてあんな味がするのか漸く理解したのだった。

後一つだけフランス菓子の在庫がある。これが無くなると少し寂しくなると思う。

 

楽しくなり、怖くなる

着付けのレッスンへ行って来た。

まだ少し歪んだりしているけれど、着物はどうにか着られるようになった。

今日は帯枕を使って二重太鼓の結び方を先週に引き続き練習した。

3度実際に締めてみたので、今のところは頭に入っている。

やっぱり着られるようになって来ると楽しい。

来週は土曜日は仕事、日曜日は母の誕生日会があるので、着付けのレッスンは休む予定である。再来週に午前、午後とレッスンを受ける予定である。

 

 

瑞麗さんは12月25日にお父さんと一緒にカナダへ向かう。

29日に龍玖が一時帰国する。

瑞麗さんは1月5日の朝に戻って来る。

龍玖は1月6日にカナダへ戻る。

半日だけオーバーラップがある。

 

瑞麗さんと穏やかに一緒の時間を過ごす要領を漸く得たような気がする。

瑞麗さんはお弁当を毎日持って行かない、と決めている。食べないものは食べない、らしい。もしお弁当が欲しい時は朝6時半までに言う、という決まりにした。

母に瑞麗さんの誕生日当日から1泊、有馬温泉にある会員制のホテルで宿泊出来るようお願いした。話した当初は気が向かなかったみたいだった。だけど昨日電話で話した時「予約は取ったよ。あまり時間は無いのだから、瑞麗と良い思い出を作りなさい。」と言ってくれた。

 

 職場でも何処でも人と関わるのが怖く思う日々が続いている。

会いたい人にも会いたいけれど怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

伯母の家へ行く

燈花会へ行った時、伯母に「渡したい物があるので9月になったらまた来なさい。」と言われた。今月の週末は忙しい日々が続いていたので、最週末である今日行くことが出来た。

伯母が用意してくれた昼食を2人で喰べた。一息ついてから伯母が様々な伯父が遺したものや伯母が要らなくなったものを出して来て「欲しいものがあったら持って行きなさい。」と言われた。選んでバックパックに詰めた後、着物の話になった。亡くなった伯父もそうだが、伯母も趣味が良い。素敵な着物も沢山持っていたが、数年前から自分のものを整理し始めて、殆ど手離してしまったそうである。

私が着付けを習っている、と聞いていた伯母は、とても使い勝手の良い帯を私の母に渡しておいたから貰いなさい、と言ってくれた。

前回は30分しか一緒に過ごせなかったこともあり、今日は早めに奈良へ来た。用事がひと段落してから2時間くらい伯母と話をした。伯母たち4姉妹は背格好が似ているので、着物や洋服の貸し借りを良くして来たそうである。今も要らなくなった洋服を持ち込んだり、洋裁をして来た3番目の伯母に生地を渡して、仕立てて貰ったりしている。特に一番上の伯母と母は毎日のように話をしている。という訳で、私たち兄妹や従兄弟達のことは伯母たちに筒抜けになっている。

伯母のマンションを出る時、伯母はいつもエレベーターまで歩いて来てくれるのだけど、足の調子が良くないので玄関でお別れをした。

お土産で一杯になったバックパックを背負って、烏丸線に乗り入れる最終の急行に乗り帰途に着いたのだった。

方向を変える

職場の人間関係がかなり面倒なことになっている。

状況を変える事は、外部から変化を齎されない限り不可能に近く、

現状維持で行くしかない。

そう言う訳で波風立てずに静かに行動している。

与えられた仕事には真面目に取り組むけれど、

それ以上にエネルギーを費やすのは止した。

今は私と近い立場にいる人がいるので、自分を客観的に見ることが出来ているけれど、

その人が職場を去る時が恐らく近い将来にやって来るので、

自分自身の行き先も考えている。

 

夏の喧噪を経て針が振り切れたような気がしている。

自分の大事なものを見失わないようにしよう。

 

 

年齢を重ねるに連れてparadigm shiftを起こすのは難しくなっている。

何歳になっても出来るようにしたい。

 

 

今日は早番である。

Soldier Egg

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 朝はとりわけ機嫌が悪い瑞麗さんだったが、朝食後は少し良くなった。

着付け教室へは午前と午後の2回行った。

午後からは袋帯の締め方を習ったが、全く自信がない。

明日は祝日で休みである。

草引きをごみ収集までして、家の片付け、そして瑞麗さんと出かけようと思っている。

 

egg cups

先週ご案内したお客さんと蔵倉へ行って来た。

南座の前で待ち合わせをした。今催されている「四谷怪談」を観賞されたので、感想を訊いてみた。演出がとても面白かった、とおっしゃっていた。

蔵倉は人で一杯だった。予約を先週入れておいたからか、いつも店のオーナーが調理している前のカウンターのとても良い席へ案内された。穴子の天ぷらとサラダを注文した。

フィンランドのことを色々教えて貰った。終盤に差し掛かった頃、「Marimekko」は好きですか、と訊かれた。好きですよ、と答えたら、小さながま口と包装された小さな箱を頂いた。ガッカリした顔を見るのは悲しいので、今は開けないで、と言われた。

お店の人はいつも通り暖かく迎えて、そして送ってくれた。京都で一番好きなお店だな、と思った。お客さんはタクシーに乗って滞在するホテルへ帰って行かれた。次に来日するのは3年又は4年後になる、とおっしゃっていた。

帰宅して直ぐ頂いた箱を開けた。とても素敵なegg cupsだった。気に入っていたegg cupsを割って以来、ずっと代替を見つけられなかった。こんな形でそれもMarimekkoの可愛いものが、家にやって来るなんて思わなかったのでとても嬉しく思ったのだった。

明日の朝は早速soldier eggを作ろう。

 

実家の片付け

父の荷物を整理し、マンションへ運ぶ手伝いをしに堺へ行った。

午前10時集合だったので、8時過ぎに家を出た。

もう少し早く出るつもりだったのだけど、昨晩の仕事のレポートを書いていて遅くなった。お客さんを予定通りにお連れする事が出来なかったのが悔やまれていた。オファーをして、来週の土曜日にまた京都へ戻って来られた際、蔵倉に少しだけ一緒に行く事になった。歌舞伎鑑賞をされてから向かうので、長い時間を過ごせないけれど、雰囲気だけでも味わって頂きたい、と思っている。

次に居酒屋巡りのオファーが会った時には、プラニングをもっと考えようと思う。

 

話がそれてしまった。

妹がちょうど堺駅側のヘルスクラブにいたので、車で一緒に実家へ向かった。少ししたら弟夫婦がやってきた。全員マスクをして、エプロンをかけて装備して臨んだ。

父の持ち物は思ったよりずっと少なかった。父が愛着を持っている小物たちを、宝箱と兄弟で勝手に呼んでいる箱に入れた。2時間半で大半のものは箱に詰めた。

近所の定食屋さんで5人で昼食を摂った。実家へ戻り、弟は義弟と荷物を積んだ軽トラックで、私と義妹は妹の車で母宅にいる母を拾ってからマンションへ向かった。父が迎えてくれた。部屋へ荷物を運び終えた後、私と義弟はマンションへ父母と一緒に残り、弟と義妹、妹は実家へ戻って行った。

私は持って来た父の洋服類を、1枚ずつ取り出して、ベッドに横になったり、座ったりしている父に見せて、取っておくか処分するかを決めて貰った。置いておく分は実家から持って来たチェストに入れていった。時間切れでジャケット類は整理出来なかったが、チェストへは全部服を入れ終えた。

他の家族は食事に出かけ、私はお暇をして京都へ戻った。乗り物を乗り換える度にぐっすり眠った。

最後の引き出しに洋服を入れた後、父が「これからお父さんはお母さんと2人きりで過ごすんだよ。」と不安そうに言っていた。私は「頑張ってリハビリをして散歩に出かけるようにしたらいいよ。」と言った。母は気性が激しいので、唯でさえ巻き込まれやすい父は、これから24時間一緒にいるという事に不安を覚えている。少しでも母の注意が他に逸れればいいのだけど、私もどうすれば良いかわからない。

今日は家族全員、機嫌が良くみんな楽しそうだった。家に戻ると瑞麗さんは夕食時までは機嫌が良かったけれど、夜が更けるにつれて段々機嫌が悪くなっていった。アメリカの同年代のTikTokユーザーたちの動画や、不幸な体験をしたティーンエージャーの回顧ドラマを見る度、不機嫌になっているので、そのせいだろうと思った。

私はまだ疲れていたので、片付けもそこそこに眠る事にした。

 

夜の新京極

今日初めてcity guideをした。

居酒屋さんを2つとカフェに行った。

2番目に向かった店が一番お客さんが行きたそうだったので、再度向かったら閉店の2時間以上前だったのにも関わらず閉まっていた。私は時間が過ぎても良かったのだけど「もう充分良い時間を過ごせた。」と仰るので、午後9時になるまで彼女のホテルの方向へ一緒に歩いた。

お客さんは人生の半分以上を一緒に過ごしているパートナーがいる。彼女が彼のことを話す時 "my man"と呼んでいた。以前にもやはりヨーロッパ人の女性でやはりパートナーのことを話す時、”my man”と呼んでいた人がいた。アメリカでは"my boyfriend"以外は聞いたことがない気がする。

”my man”と言う呼称に、お客さんとパートナーの関係の親密さを感じたのだった。

 

closed

やりたいことが少しずつ出来る状況になってきた。

 

時間が経つと、とても無理、と思っていたことが問題なく出来たり、

難なく出来たことが出来なくなったりしている。

出来なくなったことが出来るようになるのか、と考えると不安になる。

それは私にとって大きなものなので、無くなってしまうことを考えると苦しくなる。

 

 

 

名古屋帯を仕立てる

今日はお休みである。

明日の夜、初仕事であるcity guideの件の下見をする以外は家で片付けである。

午前中は通常通り着付けのお稽古へ行く。

着付けでは名古屋帯の結び方の練習が続いている。

名古屋帯は白いお太鼓柄と呼ばれるワンポイントのものしかなく、それをずっと使っている。

母曰く、お稽古に使うには勿体ない、との事なので、他に使い易い帯が欲しいと思っていた。先週教室のある呉服店で行われていた展示会で、合わせやすい全通柄の名古屋帯を先生に見立ててもらい、かなりお値引きをしてもらった上で購入した。

来週には仕上がるみたいである。

着物はまだ上手に着ることが出来ない。YouTubeの動画で良く見る着付けの先生が、テキパキとした動きで着物を身につけて行く様子に憧れる。

来月になれば夏前に仕立てた大島の着物が着られる様になるけれど、まだ自分で身につけて外出する自信がない。先生や一緒にお稽古を受けている人たちはどんどん出た方が良い、とおっしゃっている。

折角なので今年中に一度は着物を着て外出してみたい。

 

重陽の節句

近所にカフェを開くIさんから開店2周年と言うことで案内が来た。

ちょうど早番の日だしずっとご無沙汰しているので、お伺いすることにした。

帰宅後、夕食を急いで摂ってお店へ向かった。

歩いて2分掛からない場所だけれど、自転車で向かった。

お店にはお客さんが7人いた。

お菓子を一つ注文しておいた。

「『爽やか』若しくは『艶やか』のどちらかをお選びください。」

と言われた。

私は「艶やか」を選んだ。

聚洸でIさんが特注したお菓子である。

羽二重に包まれたこし餡入りのお菓子に、寒天を薄く纏わせて居るそうである。

寒天を絡ませる際に熱が加わり、羽二重の餅が更にしっとりしました、とのこと。

 

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私が居る間に更に3人来られたので、お菓子とコーヒーを頂いてすぐ

お暇した。

瑞麗さんが学校から帰宅道中にお店の前を通るらしく、

その度にIさんは大きく手を降るのだが、それを受けて瑞麗さんは、

早くその手を降ろしてほしい、といった程で

とても小さく手を上げる、と言っておられた。

 

帰宅して暫くして今日は「菊の節句」でもあったことを思い出した。

綺麗な菊があったら飾ろう、と思いたち、近所のスーパーへ向かった。

王道の菊は色々あったけれど、元々あまり好きな花では無いので、

まあ良いかも、と思える「ポンポン菊」と言われる菊を一輪だけ購入した。

 

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家で良く眺めたら、枯れそうな雰囲気だったが、

水きりを何度もしたら元気になった。

 

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重陽節句は今では忘れられがちだけど、昔は最も盛んだった行事だったそうである。

来年からは菊を生けたり、茄子を料理したりして

楽しんでみよう、と思った。

アレルギー検査を受ける

瑞麗さんの足にアレルギー反応の発疹が出ているため、掛かりつけの先生のところへ連れて行った。以前の場所より随分遠くなったので、医院に着くまで時間がかかり瑞麗さんはかなり怒っていた。もちろん、先生に診てもらっている時は普通にしていた。

診察後「一度血液検査をしてみましょう。」と先生が瑞麗さんに言った。瑞麗さんは「別に良いけど。」といった態度で頷いていた。私は先に待合室へ戻り、瑞麗さんは残って検査を受けた。数分して瑞麗さんが倒れそうな勢いで戻ってきた。「血を取られるなんて知らなかった。物凄く痛かった。」と言って目をつぶっていた。血液検査と言うば採血をすることだと流石に知っているだろう、と思っていたが違っていたのだった。

私は夏にアレルギーの血液検査を受けている。ずっと先生の処方した薬を真面目に服用していた効果なのだろう、犬に対するアレルギー反応が殆ど出なくなっていた。凄まじいアレルギー反応が出てしまう猫でさえも、良くなっていると言う数字が出ていた。先生は興奮状態で喜んでいた。10年前、投薬を始める前にアレルギー検査をしておけば良かったです、と先生が言っていた。

これで私は犬を飼っても問題なくなったみたいである。猫もいつか飼えるようになるかもしれない。実際に飼うかどうかは別としても、選択肢が出来たと思うだけで嬉しくなったのだった。

周囲の近況

秋は何処でも忙しくなる。

15日に最初の京都案内の仕事が入った。

京都の夜の街を案内する企画である。

3時間の間に祇園先斗町を周り、居酒屋さんへ2軒行く、

と言うコースである。

今週末に実際に廻るつもりである。

 

着付けの教室でたまに一緒にお稽古を受ける

女性が通訳案内士をされている。

これから凄く忙しい、とおっしゃっていた。

 

今日は遅番である。

少しゆっくりしている。

今朝も瑞麗さんに「日本語大嫌い」と言われた。

でも今通っている学校は大好きだそうである。

不登校になってしまえば、すぐにカナダへ行かせざるを得ない

のだけれど、毎日楽しそうに学校へ通っているし、

帰宅しても学校の友人達と頻繁に連絡を取っている。

本人もカナダでの学校生活がこれほど楽しいものに

なるとは余り思っていないそうである。

カナダに行くことはもう決まったことだけど、

複雑な思いを抱えたまま行ってしまうことに対して、

申し訳ない気持ちになる。

 

父が今月中旬に退院する。

妹夫婦が暮らしていたマンションへ引っ越しことになった。

16日に兄妹3人で父の荷物を整理し運ぶ予定である。

リハビリを妹が働く病院の施設で受けることになった。

これで両親のところへ行きやすくなりそうである。

 

職場では色々変化があった。

余り気持ちを子どもたちに入れ込まないことも出来ている、と思う。

夏休み中みたいではないけれど、また忙しくなるので、

息を止めながらでは無く、少し緩めてやっていこう。