今日は暖かい日だった。
今朝は太秦天神川に引っ越したかかりつけの医院へ行った。
私は最近酷くなっているアレルギー対応のため、
瑞麗さんはいちご状血管腫の部分を除去してくれる病院の紹介を受ける為である。
先生が良くご存知の形成外科の医院への紹介状を書いて貰った。
その後、京都駅へ行き、伊勢丹でお弁当を購入した。
そしてJRで奈良へ向かった。
叔母の住むマンションは駅から歩いて数分の所にある。
叔父が所長として従事していた運輸会社が駅前にあり、その建物に
叔母夫婦は叔父の定年まで暮らしていた。
定年後は叔父が亡くなるまで、青山台というマンションが立ち並ぶニュータウンに
暮らしていた。一人になった叔母はまた駅前に戻って来たのである。
瑞麗さんと詰まらない事で掛け合いをしているのを、
叔母はニコニコしながら見ていた。
叔母は唐招提寺でボランティアをしている。
同じ宗派である興福寺の建物を、拝観出来るチケットが手に入ったので、
それを貰う為に今回訪れたのである。
帰りがけに仏壇に供えてあった炭酸煎餅を貰った。
興福寺に向かったら瑞麗さんは「今朝お寺へ行く話を聞いたばかりで、
全く納得していない。阿修羅なんか気持ち悪いから見たくない。だから帰る。」
と言って行ってしまった。
龍玖に興福寺に新しくなった中金堂と、八部衆を観に行った話をした。
「よくお寺へ一緒に行ったけれど、迷惑だったかな。」と訊いたら、
「そんな事はないよ」と言っていた。
価値観をほぼ全て否定されているので、流石にこたえている。
彼女お父さんにされていた時と同じだな、と今これを書きながら気づいた。
私を否定する事によって自分を肯定している。
そうせざるを得ないとすれば、私が気づかないうちに、
彼女を追い込んでいるからなのかもしれない。