lulu_batailleの日記

日々起こった事、思った事を記していきます。

実家の片付け

父の荷物を整理し、マンションへ運ぶ手伝いをしに堺へ行った。

午前10時集合だったので、8時過ぎに家を出た。

もう少し早く出るつもりだったのだけど、昨晩の仕事のレポートを書いていて遅くなった。お客さんを予定通りにお連れする事が出来なかったのが悔やまれていた。オファーをして、来週の土曜日にまた京都へ戻って来られた際、蔵倉に少しだけ一緒に行く事になった。歌舞伎鑑賞をされてから向かうので、長い時間を過ごせないけれど、雰囲気だけでも味わって頂きたい、と思っている。

次に居酒屋巡りのオファーが会った時には、プラニングをもっと考えようと思う。

 

話がそれてしまった。

妹がちょうど堺駅側のヘルスクラブにいたので、車で一緒に実家へ向かった。少ししたら弟夫婦がやってきた。全員マスクをして、エプロンをかけて装備して臨んだ。

父の持ち物は思ったよりずっと少なかった。父が愛着を持っている小物たちを、宝箱と兄弟で勝手に呼んでいる箱に入れた。2時間半で大半のものは箱に詰めた。

近所の定食屋さんで5人で昼食を摂った。実家へ戻り、弟は義弟と荷物を積んだ軽トラックで、私と義妹は妹の車で母宅にいる母を拾ってからマンションへ向かった。父が迎えてくれた。部屋へ荷物を運び終えた後、私と義弟はマンションへ父母と一緒に残り、弟と義妹、妹は実家へ戻って行った。

私は持って来た父の洋服類を、1枚ずつ取り出して、ベッドに横になったり、座ったりしている父に見せて、取っておくか処分するかを決めて貰った。置いておく分は実家から持って来たチェストに入れていった。時間切れでジャケット類は整理出来なかったが、チェストへは全部服を入れ終えた。

他の家族は食事に出かけ、私はお暇をして京都へ戻った。乗り物を乗り換える度にぐっすり眠った。

最後の引き出しに洋服を入れた後、父が「これからお父さんはお母さんと2人きりで過ごすんだよ。」と不安そうに言っていた。私は「頑張ってリハビリをして散歩に出かけるようにしたらいいよ。」と言った。母は気性が激しいので、唯でさえ巻き込まれやすい父は、これから24時間一緒にいるという事に不安を覚えている。少しでも母の注意が他に逸れればいいのだけど、私もどうすれば良いかわからない。

今日は家族全員、機嫌が良くみんな楽しそうだった。家に戻ると瑞麗さんは夕食時までは機嫌が良かったけれど、夜が更けるにつれて段々機嫌が悪くなっていった。アメリカの同年代のTikTokユーザーたちの動画や、不幸な体験をしたティーンエージャーの回顧ドラマを見る度、不機嫌になっているので、そのせいだろうと思った。

私はまだ疲れていたので、片付けもそこそこに眠る事にした。