昨晩は晴れていたので星は綺麗だったけれど、晦日月だったので月は見えなかった。今夜は新月なので、引き続き月のない夜になる。
今朝はCranachの展覧会へ行くつもりでいた。だけど初日だからすごく混むだろう、と考えると全然気が進まないので、平日のどこかで行く事にした。家族で夕食を摂る約束が入っているので、堺へ夕方行く。
起こって欲しくても偶然では起こらない。自分で動かそうと思ってもどうすればいいのかわからない。
早朝に用があるので、遅れないように今晩から堺へ来る事にした。
阪急から淡路経由で堺筋線に乗り換えた。そして天下茶屋駅で今度は南海線に乗り堺へ向かう。
高野山方面行きのホームで、電車が来るのを待っている間、この駅がまだ各停しか停まらない路面駅だった頃の事を思い出していた。(前にもここに書いたような気がするけれどもう一度書いてみます)。
難波から急行に乗っていると、天下茶屋辺りで徐行をするので、周辺の景色が良く見えた。駅前に怪しげな看板が出ている、スピカ星占いの店に気がついた。どんな所なんだろう、と思いながらよく目で追っていた。そのうちに高校生になり、アトリエに絵を習いに通い始めた。そこで出会った友人が面白い占い師のおじさんがいる、と言って連れて行ってくれたのがそのスピカ星占いの店だった。
木造2階建の小さな建物の上の階にその人は仕事場を構えていた。ドアベルを押すと、おじさんが2階の窓から顔を出してから、下へ降りて来てくれた。引き戸を開けてとても狭い階段を上がると、6畳の部屋があった。ところせましと本がぎっしり詰まった本棚が両方の壁に並べられていた。そしてもう一方の壁には、丸尾末広のマンガに出てくるキャラクターをちりばめたような大きな絵が飾られていた。おじさんのデスクが部屋の真ん中にあり、その横にある椅子に座って占って貰うのである。大きな絵の前には長椅子が置かれていて、付き添いの人はそこに座って待っていた。とにかく狭い部屋だった、という印象がある。
初めて行った時は5人で行ったので、おじさんも占いに集中出来ず困っていた。日を改めて一人で行った時には、ゆっくり話をしてくれた。アメリカから夏休みや冬休みに帰国した際、おじさんの所へ行くのが習慣となっていった。詩や音楽、美術など芸術に造詣が深い人だった。複数で行くと下ネタ満載だったが、一人だと全くそういう話は出なかった。占いもそこそこにアートの話にすぐ入り、私の後にお客さんがいない時は数時間話し込んだ。そんな時は料金も取られなかった。占ってくれた事を思い出そうとするのだけど、殆ど思い出せない。私のことはあまり占って貰えなかったけれど、占い師としては評価が高かったらしい。
20代前半に大きな人生の岐路があり、私の周囲を取り巻く環境の急激な変化に順応出来ず、疲弊した状態で天下茶屋のお店を訪ねた事があった。おじさんは占いはせずに「変化を恐れてはいけない。」「変わる時は苦しいものだから。」と励ましてくれた。苦しくて当たり前なんだ、いつかこの状態も終わる時が来るんだ、と思うと腑に落ちて気が楽になった。
おじさんは私が20代後半の時に亡くなってしまった。今ならもっと色々なアートの話が出来るのに、と残念に思う。
今朝も雪がうっすら積もっていた。
すきま風がすっと入って来るのが分かる。出来得る限りの防寒をしているけれど、そうするとすごく眠くなるので困る。
未だ風邪の症状が残っている。ものすごくゆっくりと快方に向かってはいる。お医者さんは、全快するまで時間がかかる、とおっしゃっていたから、覚悟していたけれど長すぎる。10日経ったら再診するように言われているので、明日予約を入れた。
イルミネーションの出来る電球を引き出しの中に見つけた。ブリュッセルで購入したものである。ちょっとワクワクしながら点けてみた。思いの外パーティー部屋のような雰囲気になったのですぐに消した。
ライターのMさんに、ほぼ毎日ここの更新をしていると話したら「あなたは篭る人だからじゃないかな。」と言われた。半分は当たっている。
妹と高山寺へ行って来た。
当初の予定は大覚寺にて写仏をする、という事だったが、午前中、妹の体調が良くなかったので、写仏は止して鳥獣戯画を見に行く事になった。高山寺へは多分行った事が無かったと思うが、母が鳥獣戯画が好きなので、やたらとグッズが家にあるため、既にお寺を訪れていたような気になっていた。
裏参道にたどり着いた頃には午後4時30分を過ぎていた。午後5時に閉まってしまうので、拝観受付へと向かった。結構な距離があった。
拝観受付のそばに鳥獣戯画グッズが置かれていた。まず拝観しなければ、と思い、石水院の方へ入った。ギリギリだったので私と妹以外は誰も居なかった。もっと雪が残っていた数日前はそれは素晴らしい眺めだったのでは、と思われた。
奥の方に鳥獣戯画のレプリカが展示されていた。蛙も兎も猿も、スケールがみんな同じに描かれていて、表情が滑稽で可愛らしかった。高山寺は良い物を持っていて良かったな、と思った。
拝観後、金堂の方まで歩いた。向こうが見えないほど木が生い茂り、石垣は苔で覆われていた。
日が落ち始め、辺りは段々と暗くなって来たので、今度は表参道を通って駐車場へと歩いた。
妹が故意に帰り道に反対方向へ車を走らせた。途中衛星の電波が切れ、地図内で車の位置が分からなくなった時は少しどきどきしていた。鷹峯の方へ出たので、Kloreへ寄って貰い、パンを買って帰途に着いた。
妹の車で西に向かっていると、女性が2人道路に出て、夢中になって写真を撮っている姿を見た。何を撮っているのだろう、と思ったら四つ葉がついたタクシーだった。初めて見るので、かなり興奮して写真を撮った。運転していたのは若い人だった。
離婚届を出してきた。誓約書を書いていたので、Yさんに立ち会いをお願いしていた。1月の初めにするつもりだったけれど、ずっと体調が良くなかったので、延期されていた。誓約書には友人を証人として立ち会わせる、と言う事が書かれてあった。私が勝手に記述を替える事を恐れていたのだと思う。そんな事をするわけがないのだけど、離婚届を書いた時は舞い上がっていて、その誓約書にも流れでサインをしていた。
先に頼んでいたLちゃんパパのEさんが忙しいため、Yさんにお願いしたのだった。受理された後、一旦家へ一緒に戻った。Yさんが買ってきてくれたカヌレのお持たせを頂いた。午後6時に「吉田屋料理店」へ向かった。
そこは11時半に出て、そのまま三条にある「タナカ珈琲」に入り、閉店の午前2時まで話をしていた。そんなにYさんと話込んだのは久しぶりだった。
その後タクシーで帰宅した。妹が来ていて、いつもは午後9時半就寝、午前5時起床なのにまだ起きていて驚いた。そのまま午前4時まで話をしてから2階へ上がってきた。
さすがに疲れた。
漸く電池を購入したので、時期を外してしまったけれど、パリで買ってきたライトを点けてみた。
アトリエの雰囲気に合っているのかは分からないが、心は弾んでいる。
今朝起きて庭に出てみた。
雪が溶け始めていた。
雪が積もっていると外は夜でも明るい。
龍玖と瑞麗さんの祖母さんが今月31日までパリに滞在している。どうしても春に日本へ帰って来る前に2人と過ごしたい、と言われたので同意した。瑞麗さんも中学生になった今は午後8時15分就寝、という事は無くなり、伸び伸びとしているみたいなので安心している。
金曜日に大事な用事があり、Yさんと会う約束をしている。それまでに完治したい。
今、味覚と嗅覚が機能していない。
嗅覚の方は、シンナーのような強いにおいだとなんとか分かる。でも味覚は全く駄目である。栄養を取らないといけないので、ちゃんと料理をして食べてはいるが、義務でやっている。このまま食べる事に興味が持てなくなればいいな、と思っている。
そんなわけで、今の快楽は視覚と聴覚から得ている。今朝は雪が積もったので、わくわくしながら数時間おきに庭へ様子を見に行った。雲が切れて青空が出てきたかと思えば、また暗くなり雪が沢山降り始めたり、天気が目まぐるしく変化していた。
太陽が落ちた直後の数分間、庭の風景が物凄く綺麗な青色に染まっていた。
一日中MacBookに入っている音楽をランダムに流している。あまり聞かなくなった曲がかかるので面白い。外はまだ雪が残っていて、道行く人が雪を踏み鳴らして行く音が時折聞こえる。
嗅覚は命に関わるかもしれないので戻って来て欲しい。でも味覚はどうでもいい。食べるという行為は飽くまで生理的欲求を満たすためにあるべきで、ここに快楽を求める事に嫌悪感を持っている。
今は青空が広がって綺麗である。
たまに屋根から雪が落ちる音に吃驚させられている。
パリは雨が続いているそうである。郊外にある龍玖の学校周辺に少しだけ雪が積もったらしい。
雪が朝から散らついていたが、昼過ぎから積もり始めた。
薬の効果を感じている。薬を飲むためにちゃんと1日3度ご飯を食べている。京都に今一人で残る事が出来て本当に良かった。パリに戻っていたら体調はそのままだったと思う。