lulu_batailleの日記

日々起こった事、思った事を記していきます。

怖く無くなった事

早朝に用があるので、遅れないように今晩から堺へ来る事にした。

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阪急から淡路経由で堺筋線に乗り換えた。そして天下茶屋駅で今度は南海線に乗り堺へ向かう。

高野山方面行きのホームで、電車が来るのを待っている間、この駅がまだ各停しか停まらない路面駅だった頃の事を思い出していた。(前にもここに書いたような気がするけれどもう一度書いてみます)。

難波から急行に乗っていると、天下茶屋辺りで徐行をするので、周辺の景色が良く見えた。駅前に怪しげな看板が出ている、スピカ星占いの店に気がついた。どんな所なんだろう、と思いながらよく目で追っていた。そのうちに高校生になり、アトリエに絵を習いに通い始めた。そこで出会った友人が面白い占い師のおじさんがいる、と言って連れて行ってくれたのがそのスピカ星占いの店だった。

木造2階建の小さな建物の上の階にその人は仕事場を構えていた。ドアベルを押すと、おじさんが2階の窓から顔を出してから、下へ降りて来てくれた。引き戸を開けてとても狭い階段を上がると、6畳の部屋があった。ところせましと本がぎっしり詰まった本棚が両方の壁に並べられていた。そしてもう一方の壁には、丸尾末広のマンガに出てくるキャラクターをちりばめたような大きな絵が飾られていた。おじさんのデスクが部屋の真ん中にあり、その横にある椅子に座って占って貰うのである。大きな絵の前には長椅子が置かれていて、付き添いの人はそこに座って待っていた。とにかく狭い部屋だった、という印象がある。

初めて行った時は5人で行ったので、おじさんも占いに集中出来ず困っていた。日を改めて一人で行った時には、ゆっくり話をしてくれた。アメリカから夏休みや冬休みに帰国した際、おじさんの所へ行くのが習慣となっていった。詩や音楽、美術など芸術に造詣が深い人だった。複数で行くと下ネタ満載だったが、一人だと全くそういう話は出なかった。占いもそこそこにアートの話にすぐ入り、私の後にお客さんがいない時は数時間話し込んだ。そんな時は料金も取られなかった。占ってくれた事を思い出そうとするのだけど、殆ど思い出せない。私のことはあまり占って貰えなかったけれど、占い師としては評価が高かったらしい。

20代前半に大きな人生の岐路があり、私の周囲を取り巻く環境の急激な変化に順応出来ず、疲弊した状態で天下茶屋のお店を訪ねた事があった。おじさんは占いはせずに「変化を恐れてはいけない。」「変わる時は苦しいものだから。」と励ましてくれた。苦しくて当たり前なんだ、いつかこの状態も終わる時が来るんだ、と思うと腑に落ちて気が楽になった。

おじさんは私が20代後半の時に亡くなってしまった。今ならもっと色々なアートの話が出来るのに、と残念に思う。