授業をしている時、子ども達に良く質問をする。クラスのサイズが小さいので、同じ質問を職場のパートタイムの女性にも投げかける。お子さんがいる女性がアシストで数回入ったのだけど、「好きな色は何ですか。」と訊ねたら、必ず「虹色。」と答えていた。それを聞く度に違和感を感じていたのだけれど、何故なのか解らなかった。
その人は本当に虹がお好きな様で、お世話になったトレーナーの方々に送る色紙に絵を描いて欲しい、と頼んだら、虹が沢山描かれていた。
子どもに何色が好きか、と答えさせるのには、理由がある。それはプレゼンテーションと言われる、自分の事について人前で発表する事に慣れさせる為の時間に、子どもも答えやすいからである。通っている幼稚園部の子どもたちは、まだ英語を習い始めたばかりで、虹を英語で何と言うかも解らない。後数分で授業を終わらせて帰りの用意をしなければいけない時に、何故そう言う答えになるのだろう、と少し怒りを覚えていた。
だけど「虹色」と言う答えに違和感を持つ理由はそれではないのかもしれない、と思い始めていた。
アメリカでは虹色の旗はGLBTの象徴と言う認識が浸透している。しっかりその事が根付いているので、子どもが無邪気に虹の絵を描いてもそれを咎める人はいない。それを踏まえているので、学生時代、学校で虹を作品に使う人は、象徴になり得る状況に陥らない様に(又は敢えて)制作をしていた。大人になってしまうと、安易に使える色のパターンではないことを承知しているのである。
そのパートタイムの女性は、無邪気に虹色が好き、と答え、虹の絵を描いている。他のこととも重なり、この人は私が何故フラストレーションを持っているのか、理解することは決してないんだ、と悟った後は気が楽になった。