lulu_batailleの日記

日々起こった事、思った事を記していきます。

泉佐野へ行く

先週の日曜日、瑞麗さんと泉佐野に住む叔母を訪ねた。

15年ぶりの再会である。

瑞麗さんは初めて会うことになっていた。

りんくうタウン駅に午前11時に待ち合わせだったけれど、瑞麗さんと時間を合わせるのは難しく、叔母に連絡をして時間を30分遅らせて貰った。

叔母は年齢は重ねていてもとても溌剌としていた。

まずタクシーで叔母の家へ向かった。

持参していたお菓子と花をアレンジメントを叔母に渡した。

叔母の家の中は仮住まいをされているのかと思うほどすっきりとしていた。

装飾品がひとつも無かった。

キッチンの食器かごにはコップがひとつ伏せられて置かれていた。

亡くなった叔母が住んでいた、叔母たちには実家にあたる家に置かれていた仏壇が叔母のところに置かれていた。

そこには生父の写真が置かれていた。

瑞麗さんは興味深くそれを眺めていた。

壁を見ると祖母の写真が飾られていた。

他に掛かっていたものはカレンダーだけだった。

 

祖父の写真や父の年少の頃の写真を見せて欲しいと訊ねた。

写真やアルバムは納屋に置いてあったのだけど、納屋の処分をした時に亡くなった叔母が全部処分した、とのことだった。

生父は祖父に似ていたらしい。

瑞麗さんの関心は私が誰に似ているのか、ということだった。

私の眼は生父に似ているらしいけれど、29歳で亡くなった父のさらに若かった頃の写真に、倍近くの年齢になった自分自身を見るのは難しかった。

叔母が予め予約しておられたレストランへ徒歩で向かった。

お店はとても繁盛していた。

ロブスターとステーキが出てきて美味しかった。

その後タクシーで叔母の実家へ向かった。

亡くなった叔母の遺骨が置かれていて、叔母のことを看取った友人のMさんが祀ってくださっている。

叔母の遺言により、Mさんは来年の夏までそこで暮らすことになっているそうである。

今年中に叔母の遺骨は永代供養されるとのことだった。

遺骨と遺影が祀られている小さな祭壇の前にお供えと花のアレンジメントを置いた。

遺影の中の叔母は記憶にある叔母の姿だった。

沢山の花に囲まれて静かに微笑んでいた。

遺骨の入った箱のそばに、Mさんが秋桜畑があるところで摘んできた花が生けられていた。

叔母は秋桜が好きだったそうで、遺影にも写っていた。

Mさんとお話しを少しだけした。

タクシーを叔母が呼び、叔母宅へ戻った。

Mさんがタクシーが見えなくなるまで見送ってくれた。

もう一度訪ねよう、と思った。

 

叔母の家で少し話をしてから、叔母がタクシーで泉佐野駅まで連れて行ってくれた。

また伺います、と言ってお別れした。

 

伯母宅で私が貰った亡くなった叔母の着物と帯を預かって貰うことになった。

軽い貴金属だけ持ち帰った。

ネックレス類は箱類が嫌いだった叔母が全部捨ててしまっていたので、紙に包まれていた。

家で絡まったネックレスを解した。

色白の叔母が身につけていたものなので、瑞麗さんの方が似合うだろう。

貰ってきたものの中に帯留めが数本入っていて、それらが一番嬉しかった。

年が明けたら着付けも再開するつもりでいる。

 

生父は叔母が物心がついた頃には養子になり和歌山に暮らしていた。

叔母はあまり生父について記憶がないそうである。

彼のことを知る人はもう存在しないということを実感した。

 

瑞麗さんは、一日中死についてばかり触れていたので重かったと言っていた。

瑞麗さんが一緒に来てくれて、物理的にそして精神的にとても助かった。