lulu_batailleの日記

日々起こった事、思った事を記していきます。

夏休み終わる

今日から着付け教室へまた通う。

忘れていることもあるので復習しようと思う。

中級のお稽古が始まる。

きちんと着れる様になりたい。

 

サマースクールが終わった。

怒濤の様な日々だった。

忙しかったけれど、お盆休みにフランスへ行って良かった。

この夏も色々な人にお世話になった。

 

ライターのMさんからテキストでいただいた、とあるアドバイスを読み返した。

そのことを踏まえて、と言うわけではないのだけれど、

昨日は1日中気を抜きぼんやりしていた。

 

つい先程瑞麗さんのところへ用事で行った。

「凄く疲れた顔をしているよ。」と言われた。

ちょっとまだ回復には時間がかかりそうである。

 

職場も夏の様に忙しいことは無く、落ち着くと思われる。

取り組みたかったことに目を向けよう。

 

 

Nord-Pas-de-Calais

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作家のNさんの家から車で15分位北へ行くと海岸に着く。

対岸にイギリスが見える。

この10年で急激に避暑に訪れる人が増え、

ビーチ沿いに余り見映えを気にしない建物が乱立している。

Nさんは手前にあるベンチで休んでいた。

Tさんは散策に付き合ってくれた。

遠くまで続く浅瀬を眺めながら穏やかな風を受け、

貝殻を探しながら歩くのは楽しかった。

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冬は嵐が続くそうである。

 

The Garden at "L'Astrolabe"

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作家のNさんの家は200年以上前に建てられた農家である。

近くにあるお城付きだったそうである。

長女のBちゃんが生まれて間も無い頃、当時はB&Bだった現在の家へ家族で滞在した。その時、当主からこの家を買い取らないか、と持ち掛けられた。Nさんとご主人のTさんは1年間考え、そして買い取ることを決めた、とNさんが話してくれた。

母屋と納屋だったTさんの書斎、そして馬小屋だったNさんの書斎の3つの建物がある。それらの10倍位の広さの庭が家の裏に続いている。

昼食の後、NさんとTさんは私を庭へ案内してくれた。ずっと嵐のような雨続きだったそうなのだけど、その日は薄曇りで穏やかな天候だった。

庭に出ると左手に小道があった。

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その脇にバラが沢山植えられていた。20数種類以上のバラが植えているそうである。私が訪れた時は丁度バラの開花期の合間だったので、3種類のバラが静かに花をつけていた。

様々な種類の植物が花や実をつけていた。

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この壁は作られて200年以上経っている。この壁の向こうには100年以上前から生えていた大木が5本あったが、病気にかかり全部倒されてしまったそうである。

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帰りの列車の中でDerek Jarmanの"Garden"を思い出していた。日本へ帰国してからネットで写真を見たり、記事を読んだ。"Garden"も映画館で観たし、映画のメイキングとDerek Jarmanがその家で過ごした晩年のドキュメンタリーも観たことがある。その頃は「庭」自体に全く興味がなかったので、かなり個人的な作品だな、と感じた程度だった。

Nさんの家を訪ねてから、庭の物語性が漸く見える様になった。

Derek Jarmanの家には彼のパートナーだった人が住んでいる。家屋は公開されていないが、庭には自由に入ることが出来る。庭の様子は20年以上経った今でも大きく変わってはいないけれど、2人目の主人の好みに合わない草は全部抜かれてしまったそうである。

そうやって主人が代わったり、外来物が来たり、経年するだけで庭も少しずつ変わって行く。家と一緒なんだな、と思ったのだった。

inflow

私は点滴が苦手である。

金属が体に入る感覚がすごく嫌なのである。

だけど針から液体が、血管を通して体に流入されて行く最初の数秒間はとても好きである。

作家のNさんを訪ねて行った時は不安でたまらなかった。

どんな気持ちになるんだろう、と思っていた。

Nさんは家の前で私の到着を待っていた。そして目が合うと和かに迎えてくれた。

彼女の家へ足を踏み入れた時、点滴を始めた最初の数秒間の感覚を思い出した。

これで大丈夫、と安堵した。

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free space

今年の8月は今までで一番色々なことが起こったような気がする。

まだ余裕が殆ど残っていない状態である。

9月になったらスペースが出来ると思う。

10月から時間的に自分の為のスペースを作るつもりである。

経済的には更に厳しくなるだろうけれど、今時間のスペースを作らないと

近い将来壊れてしまいそうな気がしている。

もう手に入らないかもしれないけれど、そうしたい。

もうすぐ雨

瑞麗さんの夏休みの宿題である作文騒ぎで眠れなかった。

「私の主張」なのに私に丸投げだった。

取り敢えず日本語が嫌なら英語で書くように、とdraftの書き方を渡した。

今日は確実に雨が降りそうである。

虹が大好きな同僚のお子さんが水疱瘡にかかった。

今週一杯休みになった。

夏休み最終週なので、どうにか周りそうである。

9月からは東京からフルタイムの同僚が帰って来るので一息つける。

 

 

 

 

上手くいかない

瑞麗さんが帰って来てから、何も上手く行かない。

放っておいても怒るので、どうしたらいいのか分からない。

カナダでの滞在はいつも通り楽しかったらしい。

帰って来たくなかった、と言っていた。

 

今年の冬休みはカナダのおばあちゃまがこちらに来ることになった。

瑞麗さんはカナダでクリスマスを過ごしたかったのに、叶わないので泣いていた。

今年は彼女のお父さんも仕事で日本を離れられないし、瑞麗さんの冬休みも短いらしいので仕方がないのである。龍玖も帰って来るので、4人でお父さんの家で過ごしたければそうすれば良いし、ここで寝泊まりしてもどちらでも私は構わないから、と瑞麗さんに言った。

就寝頃になると気持ちが落ち着いたようなので安堵した。

 

言葉を尽くしても分かって貰えない時は悲しい。

何を求められているのか分からない。

 

 

 

荒ぶる人達

家の斜め向かいに一棟貸しの民泊がある。

午前12時頃から中国語で喧嘩する声が聞こえ始めた。初めは良く聞こえず、パーティーをしているのかと思っていた。時差のせいで時間の感覚がおかしいため、良く考えなかった。騒ぎは午前1時過ぎでも続いていた。ガラスが割れる音も聞こえる。午前1時半頃、警察が来た。20分位問答があった後警察は去って行った。道路で午前2時半の現在でも大声で話す声が聞こえている。宿泊施設の管理責任者が退出するように説得しているようである。午前3時過ぎに全員車に乗り込み去って行った。

 

土曜日の朝は瑞麗さんと私の父のお見舞いに行くことになっていた。

最寄りの駅に行くと、彼女の学校のサッカー部の人たちがいた。その様子を見て、北口から行く、と瑞麗さんが言い残して去って行った。改札を通り、北口へ向かい20分位待ち電話を入れた。すると「疲れたので帰る。」と言われた。

一人で父の入院する病院へ向かった。

私と両親、妹夫婦の4人で喫茶室で昼食後、妹夫婦は用事を済ませに行き、私たち3人は父の病室へ戻った。私は椅子に座り、父は横になりながらゆっくり話をした。母は冷房を消した病室は暑すぎたため、どこかへ出かけていた。

病院内にある庭園に寄っていると、妹夫婦が迎えに来てくれた。父に遑を告げ、母と私達は妹が住んでいたマンションへ向かった。改装をしてすっきりとした良い部屋になっていた。

また空港へ行く

数日前にいた空港へ瑞麗さんを迎えに行くことになった。

Native English Speakerの先生に色々クラスを代わってもらい、午後6時に職場を後にした。なんばへ立ち寄り、高島屋でお惣菜を購入し、道頓堀で肉うどんを食した。

空港駅に着いて、空港特急の指定券を購入してから到着ロビーへ向かった。ソファーに座り仕事の続きをした。瑞麗さんのフライトは10分遅れていた。そのせいで最終の京都行き空港特急には間に合わないことに気づいた。出発数分前に駅に行き払い戻しをした。通常の快速急行に乗った。電車を乗り継いで、帰って来た頃には午前1時を廻っていた。

瑞麗さんは普通に対応していた。バンクーバー近郊に住む人たちの近況を教えてもらった。

明日も午前9時始業である。やることがいっぱいあるのでこれくらいにしよう。

もうすぐ出発

預かり荷物が重過ぎた。

Nさんから貰ったスレートが4キロ近くしたので、機内持ち込み荷物にした。

そんな訳で、スレートを手に下げなから空港内を歩き回った。

機上で明くる日のクラスの計画を立てる。子どもは8人だけなのだけど、殆どが3歳児なので、全部こちらがやる準備をすることになる。

ソウルで5時間位待ち時間がある。早く帰って眠りたい。

忙しい最終日

最終日はいつも色々詰め込むので忙しくなる。

雨が静かに降っている。

今朝は洗濯、掃除、そしてVanvesへ行く。

生憎の天気なので、あまり期待は出来ないけれど一応行ってみるつもりである。

瑞麗さんと龍玖の3人で数回行った、美味しいお菓子の店は夏休みだった。

瑞麗さんと約束していたことも出来たし、今日はおまけの半日と言った感じである。

Vanvesの後は、アパートメントの持ち主である、Mさんのお薦めの美術館と香水の店へ行こうと計画している。午後3時には戻り、荷物をまとめ掃除をして、アパートメントは午後4時に出る予定である。

帰国ラッシュで空港はとても混んでいるような気がする。

 

第4日目

図書館の後、musée de la vie romantiqueへ行った。

常設展を観てから、テラスに設けられているレストランで遅い昼食を摂った。

唯一の食事らしきサラダの盛り合わせを注文したが、とても美味しかった。

アジア人のお客さんが多かった。

庭は小さいけれど綺麗だった。

 

バスに乗ってロダン美術館へ向かった。

ここは広いので観光客が千人以上訪れても気にならない。

今回はゆっくり観て回った。

10代、20代の頃、ロダンは好きではなかったのに、

最近はいいな、と思うようになった。

カミーユ・クローデルの作品は殆どが彼女自身によって破棄されたらしい。

それでも残された作品が90点以上あったので、

彼女が亡くなった後に、彼女の作家活動に理解を示していた親族によって

ロダン美術館で展覧会が開かれたそうである。

「老い」に目を向けた作品があり、それが目をそらしたくなる程

力強かった。制作されたのは彼女が若い時だったので、

直視することが出来たのかもしれない。

いくつかある制作過程を見せた展示が私は好きである。

庭に出て散歩をした。気候が丁度良くて気持ち良かった。

ショップで「 Hand of a Pianist」の作品のミニチュアを購入した。

手がモチーフの作品はいくつかあるけれど、これが一番好きである。

ロダン美術館を出た後は流石に疲れたので、phoをオペラ座の近くで

食べてからアパートメントへ戻った。

 

 

rhinoceros

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月曜日に国立図書館へ行った時、英語が出来る人が少なかったため、色々な人が応対してくれた。そのことがあったため、自分の言っていることが通じているのか不安で仕方がなかった。

午前10時過ぎに特別閲覧室へ入り、受付へ書いて貰っていた観たい作品の名前とコードを渡した。

私の他には利用者が一人だけいた。国立図書館は違う年度に印刷されたrhinocerosを3点所有している。作品がどこに仕舞われたかわからない、と言うことはよくあるので、1点だけでも観られたら、と思いながら待っていた。

 15分くらいして受付に電話がかかって来た。rhinocerosのことを話しているみたいだった。一つも見つからなかったらどうしよう、と思いながら待っていた。

それから10分後、一人の男性がカートを押しながら静かに部屋へ入って来た。私の机の横に巨大な本を置く台を広げ、そこに本を置きrhinocerosのページを開いてくれた。受付の女性に「3点のうち1点は貸し出し中でここにはありません。2点のみ閲覧出来ます。楽しんで。」と言われた。

そんなわけで、2年間恋い焦がれていたrhinocerosを目の前にして感動してしまい、暫くワクワクしながら眺めていた。

最初の一枚はDürerが制作した1515年に印刷された作品だった。丁寧に裏打ちをされていて、それをさらに2重になったacidfreeの紙をくり抜いて、フレームに収めるようになっていた。

Dürerは実際にrhinocerosを見たことはなかったらしい。耳や蹄が豚のものみたいだった。鎧で完全武装されていて、それはそれでかっこいい生き物に見える。

細部までリアルに表現されている。彫り師が優秀だったのだと思われる。

元々rhinocerosが作られた理由は、広告のようなものだったので、カジュアルに印刷しためみたいでむらがある。それがまた良いのである。ここはインクをのせ過ぎ、とか持参した拡大鏡で眺めながら楽しんだ。

続きます。

第3日目

朝は見た目は悲しいサンドウィッチを作って持参し、列車の中で食べた。

Nさんの家で美味しい昼食をいただいた。

北駅に到着後、夕ご飯はここで、と決めていたFIVE GUYS BURGERへ行き、小さいバージョンのベーコンチーズバーガーとフライドポテトの小盛りをオーダーした。アパートメントに持ち帰り食べ始めたのだけど、半分くらいで味に飽きた。

折角Nさんが作ってくれた滋味に満ちた昼食をいただいた体にジャンクな食べ物を入れてしまった。

先程洗濯をして干した。

荷物の整理をした。

そして少し眠ったけれど、初めて嫌な夢を見なかった。

完全にjet lagだけど、ここにいるのは土曜日までだし、独りなので、眠りたい時に眠って行動しよう。

明日は午前10時に図書館へ行く。午後1時まで特別閲覧室を利用できるけれど、他に観たいものは特にないので、早めに出る様な気がする。午後からは「睡蓮」を観る、またはロダン美術館へ行く予定である。

お土産

朝早くアパートメントを出て北駅へ向かった。

午後8時半頃戻って来た。

ここを離れたのは14時間だったけれど、もっともっと長い間旅をしていた様な気持ちがする。

様々な想いが交差する、濃密な時間を過ごした。

今回フランスへ来て本当に良かった。

沢山お土産を貰った。

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大切なものたちなので、壊さない様に京都へ持って帰ろう。