lulu_batailleの日記

日々起こった事、思った事を記していきます。

recently visited

梅田駅周辺はあまり詳しくないので、同じ場所へ行くことが多い。

この半年の間数回訪れたのはグランフロント大阪である。

北館にフードコートがある。

席を先に取り、レストランに注文をする際、テーブルの番号を言うと、テーブルまで持って来てくれるシステムである。

ソファー席もあるし、色々なレストランから注文出来るので楽しい。

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窓からの風景が好きである。

大阪駅周辺は開発が進んでいる。

街の風景は変化し続けている。

The memory of the Tokyo visit (Printing Museum, Tokyo)

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前回東京に行った時、3つの美術館/博物館へ行った。

厳密には4つなのだけど、東京新美術館へは建物を観に行っただけで、展覧会は観なかった。

頭の中で情報を一度に整理することが難しくなり、美術館のはしごはもう出来なくなってしまった。

印刷博物館へはずっと行きそびれていた。

前日にウェブサイトを見ている時、活版印刷の工房の見学ツアーの記事が目に入った。空きががあったので申し込んだ。

アメリカに住んでいた時、ニューヨークへ行く度、"Printed Matter Inc."という非営利団体の印刷工場へ訪れていた。そこは活版やオフセット、デジタルなど様々な印刷をおこなっており、クラスがあったり、ギャラリーや、自作の作品を売ったりも出来るスペースがあった。

サンフランシスコにはそこまで印刷に特化した団体はなかったので、ニューヨークでの楽しみの一つだった。活版印刷は今でもアメリカではよく行われており、友人の中にも活版印刷機を持っている人もいた。

子どもの誕生日会や結婚式、個展の案内状を活版を使って印刷していたし、活版印刷で制作した作品や、活字や凸版の版画を使ったアートが流行っていた。

エッチング凹版印刷なので、手間のかかり方が全然違う。凸版は気軽に出来ていいな、と思っていた。

だけど、日本語となると話は別である。

何十万もある漢字の活字をどう扱っていたのか興味があった。

 

活版印刷工房ツアーの集合時間に博物館へ向かった。

博物館の出口近くに工房があった。

見学者は全部で6人いた。

最初に見たのは、アメリカでも見たことがある印刷機だった。

しおりに印刷をさせてもらった。

 

次に活字を置いている棚に案内された。

実際に使われていたものである。

音読の読み方でアイウエオ順、そして頻繁に使われていたものは「内字」そうでないものは「外字」に分けられている。

活字があまりにも多いため、フォントは2種類のみだそうである。

見つからない漢字はどうするか、と言う質問に「作ります。」と答えていた。

活字は鉛でできている。

印刷を終えた版の活字は元に戻すこともあるけれど、時間がかかりすぎる時は、溶かして作り直すこともあったそうである。

大きな文字になると、加工に時間とお金がかかるので、桜など硬い木を彫って制作していた。

その活字たちはとても美しく、見惚れてしまった。

 

ツアーの最後は実際に使われていた印刷機や、活字を作る機械の展示を見学した。

国鉄時代に切符の印刷につかわれていた印刷機は、今でもイベントの時に使用しているそうである。

何枚印刷したかわかるようにカウンターがついていた。

 

ツアーの後は博物館の常設展を観た。

凄まじい量の展示だった。

もう一つ美術館へ行こう、と思っていたが、情報量が多すぎて処理できないため止した。

 

またゆっくり訪れてみたい。

 

 

 

 

野菜はおいしい

2週間前、堺へ行った。

妹と地元のデパートの地下にある、蒸し野菜が売りの定食店で簡単な夕食を摂った。

とても美味しくいただいた。

最近は蒸し料理を出すお店が増えているらしい。

 

東京で瑞麗さんに

「何か食べたいものはあるか。」

と訊いた。

「野菜が食べたい。野菜料理を作って。」

と言われた。

新幹線に乗る数時間前に瑞麗さんとスーパーで待ち合わせをして、

買い物をしてから、マンションで料理をした。

エッグサラダサンドウィッチ も食べたい、と言うので、

まずそちらを作ってから2つの蒸し野菜サラダを作った。

最後に和える時間がなかったので、2つドレッシングを作ってから

マンションを出た。

京都へ戻って来て、夜寝る前に

「すごく美味しかった。」

と瑞麗さんからテキストが来たので嬉しかった。

 

今朝起きてからかぶらとニンジンを蒸して食べた。

明日は奈良に住む伯母のところへ豚の角煮を持って行く約束をしている。

夕方スーパーへ買い物へ出かけた。

小かぶが欲しかったかれど、見つけられなかったので、聖護院かぶらを購入した。

レシピをネットで探したら、聖護院かぶらを使った「かぶら蒸し」のレシピがあった。

卵白を使うレシピだったけれど、代用品を使ってveganでも作れそうだな、と思った。

vegan料理を出すレストランでたまに食事をする。

美味しいと思うけれど、結構味が濃いお店が多い。

旨味を出すのが難しいからかもしれない。

 

10年以上前、紫野和久傳の2階は菜食料理のお店だった。

料理長がカウンターに並ぶお客様の前で料理をして出していた。

アメリカから帰国して間もない頃に行き、料理に衝撃を受けた。

精進料理について詳しいわけではないけれど、それらとは違うということはわかった。

料理に真摯に向き合っておられているのがわかり、緊張しながら食べた。

 

いくつか今でも覚えている一品がいくつかある。

 

ある日、お客さんが料理について質問をした。

料理長が出している料理は典座料理という、自分には耳新しい名前だった。

メニューは、その日に見つけた食材と自分自身の体調で決まる、と言っておられたのが印象的だった。

 

私がお店に行った数ヶ月後、料理長が辞められ、2階は暫く閉まった後、蕎麦屋さんになり今にいたっている。

今回かぶら料理のことをネットで調べている時に、その典座料理のことを思い出した。

その料理長のことを探してみた。

他のお店で務められた後、東山でご自分のお店を出された。そしてその2年後急病で亡くなられた、ということだった。

 

さるお寺の住職の方が、料理長について回想されているブログを読んだ。

その方が唯一心に残る料理人が、その料理長だ、とブログの中で話しておられた。

そして、京都の水は昆布と相性が良い、とのこと。

7、8年前に食べた、今ではおだしのお店になっている店で、利尻昆布だけで出汁を取った小麦そばが今でも忘れられない。

 

母に貰った真昆布で吸い物を作ろうと思う。

 

 

birthday card

龍玖からカードが届いた。

スタンダードが高いので、良い出来映えでなければ送ってくれない。

既製品のカードで充分嬉しい、と言っているが、それは嫌みたいで、描けない時はカードは届かない。

そういう状態が2年続いていた。

4週間前に

「カードがもうすぐ届くよ。」

と龍玖から言われた。

楽しみにしていたけれど一向に届かずだった。

訊いてみたら、

「実はまだ出していない。」

「でももうすぐ出す。」

「明日出す。」

「昨日出した。」

と続いた。

 

2年前に同じようなやり取りがあった。

6月頃、

「やっぱり送れない。」

と悲痛な声で言われた。

「無理しないで本当にいいんだよ。」

「出せなくても気にしないでいいよ。」

と言って慰めた。

そんなやりとりがあったので、ストレスになっているのではないか、と心配していた。

 

昨晩帰宅してから、郵便物の中に封書を見つけた。

開けたら、中世のエッチングのようなイメージが描かれたカードが入っていた。

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今日はカードを眺めながら勉強している。

音が届く

朝食の準備をする際、AlexaにGlenn Gouldをかけて欲しい、とお願いした。

 最初に聞こえてきたのはBachのTwo-Part Invention No.2だった。

この曲を練習していた時のことを思い出しながら聴き入った。

今日はなぜかInventionとSymfoniaの曲がよくかかってきてとても嬉しかった。

 

音が漸く頭の奥まで届く様になったような気がしている。

 

明日の日付で退職する。

前の職場より近い本社へ保険証を返却しに行きたい、と取締役に連絡をした。

明日の午後12時に持っていく約束をした。

父が亡くなる前後の2週間近くを忌引きとして休ませていただいた。

精神的に参っていたので本当に有り難かった。

きちんと挨拶をしたかったのである。

 

職場から持ち帰った紙類がいたるところに積まれている。

明日と明後日で整理しようと思う。

資格の勉強を始めた。

考えていたより頭に入って来ているので嬉しい。

 

少しづつ動き始めている。

 

 

月を描いた作品

去年の暮れ、夕食を摂りながら「陰陽師」のアニメを観ていた。

源博雅朱雀門に棲む鬼と笛を吹き合い、お互いの笛を交換して名笛「葉二」を手に入れる、というエピソードがあった。

2人が向き合い笛を吹くシーンが印象的だった。

ネットで調べてみたら、そのエピソードは今昔物語から来ているそうである。

月岡芳年の「月百姿」に「朱雀門の月 博雅三位」という作品がある。

 

とても美しい作品である。

月百姿はそのタイトルの通り、月が描かれた作品集である。

どれも本当に素晴らしい。

展覧会があれば是非観に行きたい。

 

沢山の作品が残されている。

用途に合わせて作風を変えている。

お弟子さんが200人以上いたそうである。

人情味の厚い人だったのだろうと思う。

 

ピアニストのYさんのご主人であるEさんは、月岡芳年について研究されているそうである。

いつか英訳にされることがあったら是非読んでみたい。

 

 

 

Ta-im

今回のTokyo visitは、瑞麗さんの暮らすマンションを快適に過ごせる様にする、と言う目的のためなので、瑞麗さんの友達へのプレゼントを買いに付き合った以外には、マンションをあまり出なかった。

瑞麗さんのお誕生日のお祝いに、瑞麗さんのお父さんと行った、イスラエル料理のレストランがお薦め、と言われた。

土曜日のランチに行ってみた。

瑞麗さんはラムプレート、私はお店のスペシャルプレート(ヴィーガン)を注文した。

とても美味しかった。

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今日学校帰りの瑞麗さんと恵比寿駅で待ち合わせして、鍵を渡した。瑞麗さんは友人と約束があるのでそこで別れた。

そのレストランへ電話を入れ、席を確保して貰い、徒歩で向かった。

フモスが食べたかったので、チキンフモスを頼んだ。

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食後のミントティーも美味しかった。

ここのお店は程よく温かみがあるので心地よい。

また行きたい。

 

first mission accomplished

今新幹線に乗っている。

瑞麗さんのマンションに泊まり込み、部屋の片付けをした。

片付けは得意ではないけれど、職場では上手く出来ていた。

同僚や生徒が使いやすいようにする、という目的が見えていたからだと思う。

瑞麗さんの部屋は彼女の空間であり、彼女の暮らしやすい様に自分でセッティングするべき

だと思っていた。

 

瑞麗さんから「片付けて欲しい。」というお願いテキストが来た。

なんにでも明確に意見を持ち、それを言葉にする瑞麗さんが気に入る様には出来ないだろう。妹と話した時、気持ちが乗らない、と言うと、

「仕事だと思ってやるんだ。」

と言われた。

今年は瑞麗さんと龍玖が京都へ帰って来た時に、ゆっくり一緒に過ごす、というのがresolutionのひとつなのである。

それで行く決心をしたのだった。

 

洗濯物を6回回して終わらせて、ご飯を4回炊いて冷凍ストックを作った。

デスクを使える状態にして、全ての物の場所を決めた。

玄関の靴箱の上は可愛く小物を置いた。

ティーンエイジャーの女の子の部屋らしく見える様になったと思う。

 

瑞麗さんの暮らすマンションは、最寄りの駅から徒歩で20分以上かかるけれど、景色が良いので苦にならない。

駅へ向かう途中で写真を撮った。

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次回のTokyo visitは今月末である。

 

お腹が痛い

一昨日、Gregoryさんから連絡が来た。

日本に買って来ているとのこと。

Japan Rail Passで大阪に来るのだけど、1月8日に京都で過ごそうと思っているので、時間はないか、と訊かれた。

2つ返事で快諾した。

Gregoryさんに会うのは7年ぶりだと思われる。

龍安寺で待ち合わせをして、ゆっくりと石庭を眺めた。

前の晩に降った雪が少しだけ屋根に残っていた。

断続的に粉雪が舞い降りていたのが、とても趣があり良かった。

その後、周辺の庭を散策した。

それもとても良かった。

バスに乗り、千本北大路で降りた。

東へ、そして北へ上がった。

「The Hamburger」で昼食を摂った。

大徳寺周辺を散策した。

名もない喫茶店に立ち寄ったが満席だったため、謝られた。

席を待つことはしてはいけないのである。

手ごろなカフェが近所にないので、

散らかっているので躊躇したのだけど、自宅へお招きした。

ちなみにGregoryさんは7年前にも家に来たことがある。

サンフランシスコでよくお互いの家へ行っていたことを思い出した。

 

アートや、音楽、共通の友人の話をした。

夕方になり、簡単に夕食を摂ろう、ということになった。

さくらや」へ行くことにした。

マグロ丼を頼んだ。

とても美味しかった。

食事の後、最寄りのバス停まで送って行った。

Gregoryさんはあくる早朝に博多に向かうそうである。

 

家に帰って来てから、諸々の薬と水溶性ビタミンを服用した。

その途端、気分が悪くなった。

数十年ぶりに吐いた。

とにかく横になろう、と2階へ行った。

トイレのため4回起きた。

睡眠導入剤は消化する前に出てしまった為、殆ど眠れなかった。

ずっとお腹が痛くて苦しい時間が続いた。

 

胃腸科で薬を処方してもらい、飲んだら段々と楽になった。

これからは食事にもっと気を使おうと決心した。

 

 

interpretation

Instagramゴッホの梅の木の絵が紹介されていた。

所持していた浮世絵の版画にインスパイアされて描いたみたいである。

www.instagram.com

文字のはらいや留めが忠実に再現されていて、全てひっくるめて好きである。

誰かがサイトのコメントで言っていた様に、

彼の代表作であるAlmond Treeが連想される作風である。

いつ行けるか分からないけれど、ヨーロッパへ行くことがあったら、

アムステルダムにある美術館へ訪れたい。

大晦日から2日まで

新年を迎えてから、あっという間に6日である。

29日に子供達から折り紙で作った手紙と折り鶴を貰った。

31日に大阪へ向かう前、開いて読んだら泣いてしまった。

 

瑞麗さんのお正月に食べるオードブルを取りに行ったり、おせち料理を受け取ったりしているうちに、大阪へ到着が1時間遅れてしまい、母が怖い顔をしていたが、ホテルの部屋で一人のんびりしていたので、そんなに怒られずには済んだ。

 

早い夕食をいただき、部屋に戻りのんびりした。

午後11時を過ぎたので、お蕎麦をいただき、カウントダウンを観に行った。

チェロのクインテット(演奏者は4人だった)による演奏があった。

曲目の中にLeonard Cohenの「hallelujah」があった。

この曲をチェロ四重奏で聴けるなんて幸運だな、と思いながら聴いた。

演奏会が終わってから、部屋に戻り眠った。

 

1日のメインイベントは大阪城周辺を船で巡ることだった。

芸人の方がガイドをしておられた。

町の発展に水路は欠かせないんだな、と考えながら景色を眺めていた。

 

2日はイベント会場で母が書き初めをしている間、

廃材を使って昆虫を作るイベントに参加した。

その後お茶をいただいてから、私は帰途に着いた。

 

京都で瑞麗さんと待ち合わせをした。

恒例になりつつあるキルフェボンのタルトを取りに行き、夕食を摂った。

午後8時前に帰宅し、キャンドルに火を灯して瑞麗さんが「Happy Birthday」

を歌ってくれた。

プレゼントはiPhoneを首からかけるストラップだった。

穏やかな良い誕生日を迎えられて嬉しかった。

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出勤最終日

昨日は現職の出勤最終日だった。

アクティヴィティのことで眠れないまま、朝7時30分に家を出た。

目まぐるしく時間が過ぎていった。

上司が仕事始めの1月4日のスケジュールを作りかけていた。

教室長を兼任している、もう一つの教室へ行く前に、

スケジュール作成を終わらせて欲しい、そして

私と入れ替わりに入る新人の先生が、どの授業に入れるか決めてください、と言われた。

最後のスケジュール作成である。

ヘルプで教室長を務めていた人が、1日入ることになっているので助かった。

均等に仕事を振り分けられたような気がする。

 

私が辞めることを知っている子供達に、

「辞めるのは悲しい?嬉しい?」

と訊ねられた。

「あまり実感が湧かなくて、よくわからない。」

と答えた。

今もよくわからない。

正月三が日が終わったら実感が湧くような気がする。